本の定価と、本の中身

本はその感触も風合いも鑑賞の対象となるといえるでしょう。昨今では少数派となりましたが、和紙の箱入りの本や、版面二色刷り、また挿絵等が入った本も減少しました。挿絵で本を楽しむという時代はゆっくりと過ぎ去っていっております。。

 本の装丁も、著名な絵描きがしました。谷崎の本を版画家の棟方志功が 何冊もやりましたし、阿部合成も文芸書をかなりの本の装丁を手がけています。

 

 古本屋は定価をあまり気にしません。定価とは目安に過ぎないのです。宗教や経営の教祖の本、茶道、華道の本などは、定価を採用するととても高価なものになってしまいます。 必ず儲かる秘訣というような怪しい本は、定価が平気で二万、三万もします。それを買った人は本を購入した瞬間にすでに損失を被ることになるでしょう。やたらに活字が大きく、内容の空虚な本でも、儲けるという字を分解すれば信者と書きますが、その信者たちは、大枚を払ってその本を購入してしまうのです。

 本の定価は物価変動と共に上昇を続けました。昭和四十五年までは、ハードカバーの書き下ろし純文学の単行本が四百八十円くらいであったのが、例の石油ショックであっという間に倍の千円近くに跳ね上がりました。現在では、二千円近いものも多いように見受けられます。文庫本でも 千円を越えるものがあり、文庫本で我慢しようという値段ではありません。

 出版社の悪い点は、定価の決定法が、本のコンテンツとは無関係に、コストの積み重ねのボトムアップ式だということになるでしょう。それだから、部数の少ない本は自ずと高くなります。本の価値と定価の関係はないというのが、古本屋の店主の思考です。新刊も古本屋に渡った本が初めて、中身を間われ、真の値段が付けられます。中には定価以上になる本もありますし、五十円の棚に無情にも放り投げら れる本もあります。本の真価が問われるのは、古本屋においてです。過ぎた時代の荒波に残り続ける本だけが、いい本といわれるのではないでしょうか。

 

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